尊い存在に囲まれて

6月に撮影したマイ・コトパッション参加者たちとの対談動画。

その中で、共通して話してくれた内容がある。

「お互いに敬意を示した関係性が心地よかった」

グループで進めていく学びの場で、一人一人の話を聴く場面が何度も訪れるのだが、聴く側は「自分だったら」「自分のクライアントだったら」というスタンスで挑む。

講座が始まる前のオリエンテーションで、「自分ごととして捉える」とは伝えているが、「敬意を示すように」とは伝えていない。

でも、お互いの中に自然と尊敬の気持ちが育っていく。

目次

尊さのカケラを集める

これまでたくさんの方のお話を聴かせてもらってきたが、ヒアリングの度に自分の中にも芽生えて育つのが「尊さ」という感覚なのだ。

しかし、私は完璧な人間ではないので、苦手な人もいるし、どうしても気が合わないと感じる人もいる。

相手に敬意を持って接したいとは思っていても、はじめから誰にでも示せるわけではない。

それでも、今までヒアリングをさせていただいた中で、そのカケラが1つも見つからなかった人には出会ったことがないのだ。

むしろ、私はその人の「尊さ」がどこにあるのか知りたくて話を聴いている。

以前、男性経営者の方にヒアリングをさせていただいた時のこと。

売上を上げること、効率化することが全面的な要求だったため、気乗りしなかった。

ビジネスだから当たり前の要求ではあるが、あまりに心の内が見えないスタンスに対して、こちら側からシャッターを下ろしてしまいたくなっていたのだ。

「どうして引き受けちゃったんだろう…」という気持ちと「割り切ってやるしかないよね」という思考がぶつかり合って、憂鬱な日がつづいていた。

この案件を引き受けたのは、信頼している会社の代表からの依頼だったため。

「もしかして、代表には見えているのか?」

私には見えていないだけで、もしかしたらあるかもしれない「尊さ」を見つけたくてヒアリングに徹した。

そうすると、彼にもやっぱりそのカケラが見つかった。

1つカケラが見つかると、そこを頼りに他のパーツを集めて組み合わせていく。

誰かの文章を書かせていただいたり、話を聴く時にはそこを拾い集めているのだ。

人は多面的だから、おもしろい

「郁子さんがよく言うんですけれど」と、対談の撮影の中で、ある受講生さんから教えてもらったのがこのフレーズ。

確かに言っているかもしれない…と、あまり自覚がなかった。

でも、ヒアリングしていく時の「尊さ」のカケラは、意外なところに見つかることが多いのだ。

そのカケラを手にすると、自分しかしらない秘密を知ってしまった子どものような気持ちになって、ヒアリングに火がつく。

トトロのめいちゃんが、トトロの住処を見つけた時の目の輝きみたいな!

ここが私が一番好きなところであり、人の可能性に触れられる尊い時間なのだ。

見せようとしているところではなくて、見え隠れしている部分に儚さと尊さがある。

権威性のトリック

セールスコピーライティングに、権威性を示すというテクニックがある。

「なんかすごそう!」を狙うために用いられるものなのだが、私は今まで、逆効果に感じる場面に何度も遭遇してきた。

すごそうに見えたのに、実はすごくなかった
すごそうに見せるあまり、胡散臭く見える

うまくいかないのは、この2つの理由が多いと思う。

でも、人って自分に自信がない時ほど権威にすがりたくなっちゃうもの。
私も最近、権威性を欲している自分に気づいたばかり…

権威性を示すのは「すごいと思って欲しい」ことを示していること。つまり、それは仕向けられた敬意なんだと思う。

だから一瞬すごいって思うかもしれないけれど、辻褄が合わなくなった瞬間に薄っぺらいものにうつってしまう。

人間ってそんなに簡単じゃないのに、都合よく考えちゃう弱さも持っている。

仕向けられた敬意はすぐに消えてしまうのだ。

それは醸されるもの

「尊さ」を感じるのは、語られていることの背景を知った時なんだと思う。

語られている言葉、口調、佇まい、実績含めて、今を形成している道のりを知った時、その立派な姿勢に敬わずにはいられなくなる。

だから、これは大人に限った話ではなく、子どもが一生懸命頑張っている姿や、それを嬉しそうに報告してくれる姿にも、同じように尊さを感じるのだ。

言葉では語りきれない姿が、目の前にいる人と一致した時にその人を見る目が変わる。

最近、学校帰りの車でウトウトする息子。プールの授業が始まり、目一杯泳いで疲れるのだろう。そんな姿を想像するだけで尊さが溢れてくる。

まるごと大事に

マイ・コトパッションは、はじめて会う方々で進めていく。業種や業態、ライフスタイルもさまざま。

お互いに知らないところから、終わる頃には「お互いに敬意を示した関係性が心地よかった」と言ってくださるのは、言葉にするまでの背景をともにするからだと思う。

感性から生まれた言葉からつむぐプロセスを一緒に歩むことで、その人を丸ごと知っていくことになる。

1つ1つのカケラが言葉になっていくと一貫性が生まれて、自然と尊敬の気持ちが湧いてくるのだ。

その関係性が心地よいと言ってくれる仲間と出会えたことが、私は幸せだと思う。

「自分はすごい」って無理して言わなくても、自分を大切にしていたら、人からも大切にされる存在になる。

だから…というわけでもないが、今感じている感情や、今考えている考えを、大事にしていきたいし、大事にしていって欲しいなと切に思う。

対談を終えて、雨が降る7月にそんなことを考えた。

対談のダイジェストも、もしよかったらご覧ください^^

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