伝え方に迷ったときは

セールスコピーライターとして独立したのが、私のフリーランス活動の始まり。

チラシやWebマーケティングの中で「どう伝えたら売上げにつながるか?」を考えてきた。

ビジネスのサポートもしているので、今でもテクニック的な知識も学び続けている。

しかし、活動をスタートしてすぐに感じた危機感は常に隣り合わせで抱えているのだ。

それは、テクニックは誰がどう使うかで、人を助けるスキルにもなるし、人を傷つける武器にもなると言うこと。

特に「言葉」で伝えることは、言葉の背景にあるものが滲みでる。

どれだけテクニックを使ったとしても、どこかで辻褄が合わなくなったらプツンと糸が切れてしまう。

だから、何を言うかよりも、どんなあり方の自分が言うかの方が何倍も大切だと思っている。

先日、ビジネス面においても、人としても信頼している方からあるフィードバックをもらった。

郁子さんの書くセールスレターは、セールスライティングなんだけど、そういう感じがしないんですよね。

確かにセールス要素は必要で大事なポイントだとは思いますが、郁子さんは言葉を「差し出す」とか「手渡す」のイメージ。

だから、郁子さんの書くセールスレターからは売り込み感が出ないのかもしれないです。

郁子さんの場合は押しの強さというより、芯(真)の強さが文面から伝わるので、技で押す必要はない気がします。

気づいたら術中にハマってたみたいな感じです。笑

ありがたいフィードバックだなと思い、何度も読んで噛みしめた。

私の場合、自分の文章を書くときは、無意識に「押しつけたくない」「上から言いたくない」「評価したくない」という気持ちが働く。

それに理由をつけるとしたら、自分が絶対に正解だと思っていないし、進む道は自分で選べると思っているから。

出会っていく方と、自立した関係を築いていきたいから、という理由もあるかもしれない。

一方的に「これが正しい」「これが絶対」と伝えたら、弱者と強者という関係になり、自分で決めることをさせないように誘っているのでは?という考えがそこにはある。

リアルなコミュニケーションでも、全く同じものが根底に流れている。

日常でインプットする本なども、押しつけない表現をされている方に自然と惹かれる。

見聞きする言葉に、相手を信頼した敬意や愛を感じると、その言葉に触れるだけで浄化されていく感覚にさえなる。

私は、そんな言葉を手渡していきたいと思うのだ。

目次

そのままを伝えるって、難しい

文章でも、リアルのコミュニケーション同様に、そのまんまを伝えればいい。

とは言われても…、どうしても構えてしまい、かっこよく、きれいに、ちゃんと表現しようとする監視員が現れるから難しい。

素直な表現者である自分と、可視化された文字を監視する自分が存在して、監視員が厳しいと自分らしさが抑えられてしまう。

そうすると、言いたいことのど真ん中が漏れていってしまい、体裁の整った味気ない文章に仕上がる。

マイ・コトパッションの受講生さんを見ていても、監視員が厳しめの方が多い。

監視員は自分が想像するよりも何倍も厳しい。彼が100点を出さないと添削に出すことさえ躊躇してしまうのだ。

他人と比較しながら、自分に対する目を常に厳しく育てる強者だ。そんな目で自分の文章を見つめるのだから一向に100点なんてやってこない。

毎回「30%の完成度で出してくださいね」と伝えるのは、監視員よりも「素直な表現者である自分」を強く持っていって欲しいから。

何を言われても「私はこう思う」「私はこう感じる」を自分の言葉で伝えることができたら、人生のモヤモヤの大半は消えてしまうのではないだろうか。

素直な表現者である自分を強くするもの

最近、10年ぶりにヨガを始めた。この先生に学びたいと思う先生に出会えたのだ。

はじめてお話ししたときに、過去から現在に至るまでご自身と深く向き合われてきたことが伝わってきた。

「正しい知識」を押しつけることのない姿勢に、自分にとっての解を見つけていけそうでワクワクしたのが決め手だった。

そして、まっすぐ見て、伝えること。焦らずに、深く向き合っていくこと。

私が大切にしている2つのあり方を提示してくれたことも、安心感に繋がった。

そう、何かを学びたいと思ったら、やはり誰から学ぶかが私にとってすごく大事。

どんな人なのかを伝えるには、表面的な言葉だけではやっぱり伝わらないのだ。

何を積み重ねてきて、どんな価値観があり、何を目指しているのか。真剣に自分の人生と向き合っている人からは、多くを語らなくても伝わってくる。

素直な表現者である自分を強くするには、この一本筋を自分が認めてあげることから始まるのだと思う。

結局、醸されるものが伝わっていく

ヨガを再スタートした日、ヨガウェアを着たついでに開脚をするとお腹がぺたりとつくまでにはあと10㎝ぐらいあった。

そんな自分を眺めてみたら、いつも「なんとなくできた状態」で諦めている自分に気づいた。

10年前、ヨガをやっていた時も、お腹がぺたりとつくところまでは行かなかったのだ。

当時、ヨガの資格を取得するときに、RYT(全米ヨガアライアンス認定資格)ではなく民間のTTCをいくつか受けることを選んだ。

あと一歩のところまで行かずにいたのは、私が自分に対して「極められない」って決めていたからだったんだなと、開脚をしながらぼんやり眺めていた。

そんな自分をそろそろ手放してもいいかなと、今ものすごく感じている。

どんなあり方の自分が言うかが大切と語っちゃったけれど、私は立派な人間ではない。

けれど、自分のありたい自分でいたいと心底思うから、今日もこうして自分の内を言葉にしている。

いくら言葉を尽くしても、本当にそう思っていなかったら端々に醸されるし、結局裏切ってしまうことになる。

偽りなくそのままを伝えるって、突き詰めるほど難しいと思う。

それでも、カッコつけちゃう自分さえもおもしろがって、スッと前を向いて歩んでいきたい。

そうやって思考錯誤しながら泥臭く生きていく中で、選ぶ表現や行動によって伝わっていくものが、結局は一番伝わるものなんだと思う。

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