お節介と、生きていく力

自分らしく言葉を紡ぎ、誰かとつながって生きていくには、どこまで踏み込めばいいのだろう?

そんな問いを、私はこの一年、胸の奥に抱えて過ごしてきた。

今振り返ると、その問いの奥には、人と関わることへの怖さも、確かにあったのだと思う。

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ほどけた先で、見えてきたもの

長野に移住して三年以上が経った。

東京にいた頃の私は、思考ばかりが先に走り、頭の中で正解を出そうとして、いつの間にか疲れていた。

自然がすぐそばにあるこの場所での暮らしは、私の内側に張りついていた力を、少しずつ抜いてくれた。

勝ち負けや効率が、ふとどうでもよくなる瞬間がある。

流れに逆らわず、身をゆだねるしかない日もある。

そして、それでいいと思える時間が、少しずつ増えていった。

PCに向き合う時間は、東京にいた頃の半分以下。

それでも、仕事の質も、人との関係も、むしろよくなっていると感じている。

この変化の中で、私はあらためて実感するようになった。

言葉は、頭だけでつくろうとすると、すぐに行き詰まる。
やはり、そうだった。

言葉は、内側からしか生まれない

感覚に耳を澄ませ、感情をきちんと味わい、思考で整理する。

この三つが循環しているとき、言葉は、自然に生まれてくる。

けれど情報があふれる時代では、思考ばかりが強くなり、感情が置いていかれ、感覚が鈍っていきやすい。

そうなると、人はあっという間に、自分の言葉を見失ってしまう。

今年スタートした、感性や価値観を言葉にするトレーニング講座ジム・コトパッションで、私は多くのアウトプットの瞬間に立ち会ってきた。

内側と表現のズレに敏感な人ほど、言語化を苦手だと感じやすい。

けれど、そういう人たちの言葉ほど、純度が高い。

たくさんの種を抱えているからこそ、芽吹いたときの力が大きい。

それを、何度も目の当たりにしてきた。

そして思う。
言葉と向き合う姿勢は、人と向き合う姿勢、そのものなのだと。

私はずっと、助けられて生きてきた

今年、もう一つ、はっきりとした気づきがあった。

私はこれまでの人生で、本当にたくさんの人の「心配り」に支えられてきた、ということだ。

参加したコミュニティで、気になって、とメッセージをくれた人。
力になるよ、と声をかけてくれた人。

愛犬の散歩の途中、挨拶程度だった近所の方が「お茶しにおいでね」と言ってくれたこと。

仲間が、「元気?話さない?」と、何度も声をかけてくれたこと。

思い返せば、私はいつも誰かの心配りに手を引かれながら、ここまで歩いてきた。

それなのに、気づいてしまった。
私は、自分からはあまり声をかけてこなかったな、と。

やさしさの顔をした、怖さ

理由は、とても単純で。
怖かったから。

余計なお世話と思われたくない。
踏み込みすぎて、距離を詰めすぎて、拒否されるのが怖い。

ずっと、そう思っていた。

今思えば、私がしてもらってきたのは「お節介」ではなく、もっと自然な心配りだったのだと思う。

それでも私が、自分が差し出す側に立つときだけ、その行為を「お節介」と呼んでいたのは、そこに怖さがあったからだ。

拒否されるかもしれない。
距離を間違えるかもしれない。

その怖さを抱えたまま踏み出すための、私なりの呼び名だったのだと思う。

やさしさのようでいて、実は自分を守るための距離。

今年は、そんな自分の姿にも、目を向けることになった。

怖いまま、踏み出してみた

だから今年の後半、私は意識的に、少しだけ立場を変えてみた。

これまでなら遠慮していた場面で、一歩踏み込んで声をかける。

力になれそうなことがあれば、よかったら、と差し出してみる。

怖さは、消えなかった。
それでも、やってみた。

すると、想像以上に喜んでもらえることがあり、そして何より、私自身が驚くほど、満たされた。

誰かに向き合うことは、こんなにも力をくれる行為だったのかと、体で知るような感覚だった。

お節介は、干渉ではなかった

そのとき、ようやく腑に落ちた。

私が恐れていたお節介は、干渉ではなかった。

お節介とは、誰かの境界を勝手に越えることではない。
扉をこじ開けることでもない。

扉の前まで行って、トントンとノックをすること。

あなたのことを大切に思っています、という意思を、そっと差し出すこと。

受け取るかどうかは、相手に委ねる。

それでも差し出すという行為そのものに、確かな意味がある。

それはきっと、ひとりでがんばりすぎないための、人と人との知恵なのだと思う。

私は、関わることを選ぶ

私はこれからも、心配りに支えられながら生きていきたい。

そして、自分が差し出す側にも、立っていきたい。

完璧でなくても、怖さを抱えたままでもいいと自分に言い聞かせて。

目の前の人に向き合うことを、私はこれからも選んでいきたい。

2025年は、そんなつながりの智慧を、思い出させてもらった年だった。

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