頭で考えることをやめてみた結果

2022年9月に長野県に移住する時、私はある実験を目論んでいた。

東京のマンションで家族3人で暮らしていた時は、朝早くから子どもが寝たあとまで。土日も隙あらばパソコンを開く生活を送っていた。

頭の中から仕事が離れず、遊びに出かけてもいつも仕事のことを考えていた。

次第に、そのやり方に限界を覚えるようになっていったのだ。

しかし、別のやり方を試そうと思っても、都会の喧騒に触れるとどうしても自分の中のアクティブスイッチが入ってしまっていた。

思考から離れる環境にどっぷり浸かったら、シフトチェンジできるかも!

頭で考えることをやめた方がうまくいくかもしれない。そんな仮説を立てていた。

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皮肉な循環

人は、なぜ懸命に考えようとするのだろうか?

子供の頃は「こうなりそう」そんな感覚に確信を持っていたのに、大人になるに従って効かなくなっている事実に直面せざるを得なくなっていた。

特に、20代半ばはこの傾向が強かったように思う。子どもの時には効いた直感が全く働かなくなっていた。

知識も、できることも増えてパワーアップしているはずなのに、思い通りにことが進まないばかりか、“うまくいかせよう”と考えるほど、うまくいかないのだ。

“うまくいかせよう”の真意は、自分のメリット。

評価が得られる、優位に立てる、そんな外的要因を判断基準に懸命に考えていた。その結果、おもしろいほど空回りしていた。

2024年上半期を振り返る

先日、2024年上期を振り返っていると、驚いてペンが止まった。

仕事はもちろん、プライベートでも、家の竣工、引越し、子どもの編入など、やることがとにかく多かった。

手帳をめくりながら書き出していると、これだけのことができていたのか…と驚いた。

多くのことを実行する=大変でありつらいもの

そんな公式が長らく自分の中に根づいていたのだと思う。

2024年上期は、事実としてやることがたくさんあった。でも、大変ではなかった。むしろ、毎日楽しく生きていた。

「頭で考えること」をやり続けていたら、頭打ちになっていたのではないか?ふとそんなイメージが浮かんだ。

そう思うと、楽しく過ごしながら、多くをこなせた自分が誇らしくなった。

もっと人間らしく生きたかった

都会に住んでいると、夜でも働きたくなってしまうのは私だけだろうか。

徒歩5分のお店でさえUber eatsを利用し、夫に白い目で見られ…笑

ゴミも決まった場所に置いておけば、マンションの管理会社さんが整えてくれていて。電車もバスもタクシーもすぐ来る。

そんな便利さを追求した環境に身を置き、いくらでも思考できる状況の中で、生きている実感がどんどん薄らいでいたのかもしれない。

忙しくしている自分も好きだったし、そんな経験をさせてもらえたことに感謝している。

でも、その生き方に限界を感じる時がきたのだ。

移住の話を両親にした時に、開口一番に告げられたのは「老後にそういう生活もいいよね」だった。

まさか本当に移住するとは思っていなかったのだと思うのだけれど、私の口からは、咄嗟に「老後じゃ遅いよ」という言葉が漏れていた。

今、子どもと生きているこの時間に、私はどうしても人間らしく生きたかったのだ。

意思が弱い私にとって、便利な環境に身を置きながら生き方を変えるのは非常に難しく、ここに移住してきて2年が経とうとしている。

夜になると、静かな暗闇が「寝なさい」と誘ってきて、朝は穏やかな光が差し込んできて「起きなさい」と教えてくれる。

冬は痛いほど寒くて、もはや寒さに逆らおうなんて思わない。

春先から芽吹く緑の生命力には圧倒されるほど。

自然のリズムにのっていくと、自分の感覚もはっきり感じられるようになってきた。

「成るようにしかならない」のに、無理に逆らおうとしていた自分に気づいた。

これは、何もせずに流れに身を任せるという意味ではなく、自分を知りながらリズムに乗せるという意味。

人も自然の一部であることを、この2年間の中で学ばせてもらった。

すべては仮説から始まる

即決、即断、即実行。私は割とそういうタイプ。

正解は誰にもわからないということを、腹の底でわかっているつもり。

人にアドバイスを求めることもあるけれど、ピンとこなければ「そういう考え方もあるんだ」とそっと引き出しにしまう。

最後に責任をとるのは自分だから、失敗してもいいと思っている。いや、失敗するまでそれが失敗なんてわからないと思っている。

「頭で考えることをやめた」ことも、仮説の検証に過ぎない。

仮説、検証、結果を繰り返して生きる中で、自分の感覚を取り戻していっているんだと思う。

私には1つだけ描いている夢がある。

それは、人が接するだけで癒され元気になるおばあちゃん。このおばあちゃんは、考えていない。ただ、知っているのだ。

そんなおばあちゃんに向かって、仮説検証の物語はつづいていく…

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