「どっちが感情で、どっちが思考かわからない」
キッズ・コトパッションに参加くださっている方がシェアくださった言葉が、私の中でしばらく引っかかっていた。
はっきりと線引きする必要がないと考えている私とは違って、整理したくなる人もいることに驚いたからだ。
感情と思考、どちらも目に見えないもの。味わっていた瞬間に思考に移りゆく感情もあるし、思考していたら感情にのまれることもある。
だから、はっきりとした境界線はないと思う。
でも、「感情」と「思考」を通して言葉について学んでいくコトパッションでは避けられないプロセス。現段階での考えを明らかにしたい。
そんな答えのないフワフワした頭の中を綴っていく。
言葉の源への考察
「どっちが感情で、どっちが思考かわからない」その言葉を聞いて、そうだよなーと思ったし、明確に切り分ける必要もないと思った。
ただ、自分の中にある適切な「感情」と「思考」のバランスが崩れると苦しくなると思っている。
感情を使うのが得意な人が「思考」を目一杯使ってしまうと疲れて人に会いたくなくなったり、思考を使うのが得意な人が「感情」にどっぷり浸かると、急に理性に取り憑かれたように振る舞ったりするのは、バランスを取ろうとしているからなのかもしれない。
50:50の人もいれば、20:80や70:30の人もいて。そのバランスのグラデーションこそが表現の個性にもつながっていくと思う。
私にとっては「繊細で…」というのも、ちょっと違和感。誰にでも繊細さってあると思うから「繊細」という言葉で一括りにはできない。
無理に自分と違う人の思考法を真似る必要もないし、感情を感じにくいからって、自分を残念に思うこともない。
得意な方を活かしながら、ちょっと苦手に感じるところは練習してうまく付き合えるようになっていけたら十分なのではないだろうか。
それは素朴な疑問だった
タイトルにある「言語化は正義か?」という問いに対しての、今の私の答えはNo。
言葉にすることは、自分を強くしてくれると感じる一方で、言葉にできない領域の方が広くて深いのだろうと想像する。
目に見えないから、その深遠さを頭で理解できるように証明するのは難しいけれど、きっと「それはそうだよね」「あるよね」と感じている人は多いのではないだろうか。
ふわふわした小さな赤ちゃんがじーっと見つめてきてニコっとした瞬間の心が解ける感覚や、大自然に触れたときに体全体で圧倒される感覚は、もはや言葉にせずに味わいたい感情。
言葉にすることで不釣り合いが生じていまう。
子どもの頃、自分の世界の当たり前に生きていた私は「なんでわからないんだろう…?」という疑問をいつも抱えていた。
こんなに悲しい、こんなに腹立つ、こんなに嬉しい…
そんな感情が、同じ空間にいるみんなの中にも、当たり前のように存在していると思っていた。
だから、言葉にする必要性を感じることもなく、なんでわからないのか不思議で仕方なかったのだ。
人が時代を創る過程で新しい言葉が生まれるように、ずーっとずーっと前には「言葉」は存在していなくて。
存在しなかった時には、言葉なしでコミュニケーションがとれていたと思うと、私はその能力が欲しくてたまらない。
一方で思い出されるのは、2002年に放映されていたオダギリジョーさん主演のドラマ「サトラレ」
頭の中をすべてさとられてしまったら…と思うと、おそろしい…!
なんでも正直に伝えればいいってもんじゃない
大人になっていく過程で「言葉にしないとわかり合えない」ことを、私は傷を負いながら学んできた。
また、どこまでを自分の内に留め、どこからを伝えたらいいのか、そんな悩みにもどっぷり浸かってきた。
だから「書く」ことに行き着いたのかもしれない。
書くと、感情のようなものや、思考のようなものを客観的に眺めることができて、こんなにたくさんのもので埋め尽くされていたんだ…という事実に驚く。
書き出された言葉たちを眺めながら、「丸裸でぶつけなくて良かった」と救われた経験が何度もある。
言葉には、実際に持っている感情や思考を鋭くさせる力もあるんだと思う。
「定義」という言葉には、こんな意味がある。
あるものごとの意味をはっきりと決めること。また、決めたもの。
三省堂 例解小学国語辞典 第七版特製版
伝え合うことに便利である言葉は、同時にわかり合うことを妨げることもあるのかもしれないな、なんて思う。
急がずに見つけていく
伝える必要がないこと、伝えた方がいいこと。
それを整理していくためにも、コトパッションでは「内向きの言葉」と「外向きの言葉」はわけて整理していくことをお伝えしている。
10あった内向きの言葉は、外向きの言葉に磨くプロセスで1にまで削ぎ落とされていく。
絵空事になっていない?
本当に思っている?
鬱陶しくない?
受け取りやすい?
その正直さが人を傷つけないか?
広げ散らかした内向きの言葉をスリム化する作業が外向きの言葉磨き。何を伝えるかより「何を伝えないか」を見つめることで、伝わり方の精度がグンと上がる。
全てを伝える=伝わる、ではない。
一方で、内向きの言葉は思う存分広げたり深めたりしていい。
自分の中に、目に見えない感情や思考が確かにあると自覚することが大切で、自分を大切にしながら意見を伝えていくスタートライン。
そこから、ゆっくりでいいから、言い当てられる「言葉」を見つけたりつくったりしていけばいい。
すぐに答えが見つからない領域にこそ、自分の真髄が眠っているかもしれない。