心地よさを追求したら退屈になっていた

2024年が始まって、去年からつづく「退屈感」が拭いきれずにいた。

毎日やりたい仕事ができて、大好きな仲間と時間を過ごし、家族とともに住みたい場所に住み、自分の時間もそこそこ取れている。そんな日々を数ヶ月過ごしていたある日、退屈している自分に気づいてしまった。

何が好きで、どうしたいのか?

ここを素直に言葉にして創ってきたはずの今という現実。

自分の心地よさを追求したものだったはずなのに、手にしていると気づいた瞬間に退屈な自分にも気づくなんて、なんて残酷なんだろう…

年が明けてもまだ光を掴めずにいた。

しかし、日本は梅雨入りだというのに、曇天つづきだった私の空には光が差し込んでいる。

目次

心地よさの先に待っていたこと

好きに素直に、心地よさを大事に。

頭ではわかっていても、本当の意味を、私は理解していなかったのだろう。

私が求めていたものは「形式」ばかりだった。仕事、ライフスタイル、住む場所、人間関係…

これらの形式は確かに私が心地よさを感じるものばかり。でも、形式は手にできそうな輪郭が見えた瞬間に、あたかも今までずっとそばにあったかのような存在に変わる。

そうなると、また次の「形式」を探し出すのだ。

去年の秋頃から、私はもう「形式」に対する欲がない自分に気づいて虚しくなってしまった。

そこから抜け出したくてもがいても、抜け道がわからなかった。

さらなる「形式」を欲するといいのか?と、大胆な欲望をノートに書き出したりもしたが、心の底では「どっちでもいいわ…」と冷めた目で見つめる自分がいた。

27歳の時と同じ感覚

40年生きてきた人生を振り返ってみると、この曇天は自分の望む就職先に転職した時に似ている。

職種、社内の雰囲気、お給料、福利厚生、勤務地など、申し分のない環境に身を置いたのに、半年も過ぎる頃には退屈していた。

その後、安定を手放し二度目の転職をすると、途端に毎日が鮮やかに彩られていった。

「形式」が満ちていない時は「形式」を求め、手に入ると「躍動」のありかを探し出す。

今年に入って、私はずっと、そのありかを探していたのだ。

あえて別の道を選ぶ

同じことを繰り返していたら、同じ日々から抜けられない。

ある方のアドバイスをキッカケに、そんな当たり前の法則がストンと腹に据わった。

避けてきたインスタライブ、主催するコミュニティのリニューアル、各種役所との関わり、外部委託、このコラム記事の更新もそう。

「やった方が良さそう」疼いていたけれど避けていたことを、あえてやる道を選んだ。

そうすると少しずつ光が差し込んできたのだ。

今までやってこなかった選択は、もちろん腰が重い。でも、やってみると世界の見え方が鮮やかに変わっていくのが明らかだった。

その鮮やかな景色が、この感覚で進めば大丈夫という確信に変わっていった。

私が本当に求めていたこと

今年3月に行った主催するコミュニティのリニューアル。

20名弱の小規模コミュニティだったけれど、私にとっては一人一人が大切な存在。リニューアルに伴い気分を害する人もいることは容易に想像できた。

だからこそ、変えることは簡単ではなかった。傷つけたくないし、傷つきたくない。

それでも決行したのは、このまま続けることが自分のあり方に反すると思ったから。

見えている違和感を見えないことにするのは、自分に対する違反切符。関わりを続けるほど気持ちが重くなることを無視できなくなっていた。

どう伝えたら伝わるか…自分なりにひとつひとつ言葉を選び伝えていった。

結果、リニューアル云々よりも、その姿勢に共感してくださった方が残ってくれていた。

私が求めていたことは、そういうことなんだな…と、リニューアル後のメンバーと交流するたびに実感するのだ。

「形式」を求め合うのではなくて、互いの生き様、姿勢、考え、感性…それらを伝えあうことが糧になっていく。これをハッキリ伝えられたわけではない。

でも、今コミュニティに残ってくれているメンバーは、そこを感じ取ってくれたんだろうと勝手に思っている。この関係性を求めていたんだと教えてくれた。

クリアな目を持つ勇敢な人でありたい

10ヶ月ほどの曇天を経て、私の「躍動」のありかは、クリアな目と勇敢さにあると気づいた。

視界の明るさがアンテナとなり、勇敢でいられているか否かを教えてくれるのだ。

自分の中で疼いていること、気づいてしまっていることの多くは、あえてやる必要がないことだろう。でも、やらずにいると自分を曇らせてしまうクセモノであるということを忘れてはならない。

それらをやる姿、言う姿こそ勇敢なのだ。

躍動のありかに気づいた私でどんな現実を築けるのか。久しぶりに自分に対して期待がふくらんでいる。

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